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それでも愛してる 4 [天使が啼いた夜 番外編]

 光流は少しずつ浅田との生活に慣れて来ていた。だからと言って二人仲良く語らう訳ではない。朝の挨拶をして光流はやらなくてもいいと言う浅田の言葉を無視するように、朝食の支度を整えていた。

 最初の頃は不機嫌な顔をしていた浅田も、三か月も過ぎた今では、当然のように、光流の用意した簡単な朝食を一緒に摂る。
 そして、お互いの一日の予定を簡単に告げ合う。だが大概浅田の帰宅は遅く、光流が一人で食事を済ませ、自分の部屋に戻った頃に帰宅する生活だった。

「ただいま」
 いつの頃からか浅田は誰にともなく帰宅の声を掛ける。気配を感じた光流が「お帰りなさい」と出迎えだけして、また部屋に戻る。気を使いあっているようで、空気のような存在になりつつあった。

「志望大学は決まりましたか?」
「はい……」
珍しく浅田がそんな事を聞いてきた。光流の中ではとっくに志望大学は絞り込まれていたので、素直に大学の名前を告げた。
「そうですか。頑張って下さい。予備校は行かなくてもいいのですか?」
「いえ、自力で何とか頑張りたいと考えています」
 光流はなるべく無駄な金は使いたくなかった。浅田の父親が管理してくれている通帳から、使い勝手が良く、光流が生活費を引き出せるように別に口座を作ってもらっていた。

 高校の授業料は浅田の父が直接手続きをしてくれているから、光流はその新しい口座の金を自由に生活費に充てる事が出来たが、ここにいると特別に大金は必要無い。無いどころか、食費すらかからないのだ。
 いつの間に買い物をするのか、いつも冷蔵庫の中には新鮮な食材が入れてあった。それを浅田は勝手に使いなさいと言うだけで、食費を払うと言う光流を相手になどしなかった。
 とても助かるが、それでは気が重くて、光流は交換条件のように家事をやり出した。だが浅田は光流の気持ちが判るのか、それ以上は何も言わない。

「来週から家庭教師がここに来ます」
「え……家庭教師! 無理です……」
 光流は先に家庭教師に支払う金を頭の中で計算してしまった。そんな光流を見て浅田は失笑する。こんな顔は珍しかった。
「紫苑君が買って出てくれました。だから来る日は未定です。紫苑君が都合の良い日に来てくれるそうです」
「紫苑さんが……仕事も忙しいでしょうに……」
「彼は器用な人ですから、気にしなくても大丈夫ですよ」
「でも……」
「光流君が上手くいけば、紫苑君の後輩になります。それに彼はDOMOTOにトップ入社する程に優秀ですから、きっと教えるのも上手いと思いますから私も安心です」
「え……」
 最後の言葉に光流は狼狽えてしまった。浅田が自分を心配してくれていたとは思っていなかった。何だか嬉しかった。
「はい、ではお言葉に甘えて……宜しくお願いします」
 光流は、浅田に向かって頭を下げた。
「教えるのは私ではありませんよ」
 そう言いながら浅田の口元が緩んでいたのを光流は見逃さなかった。
(そうか……)光流は浅田の機嫌のいい理由が分かって、少しだけ落ち込む。


 浅田の言ったように、次週の火曜日の夜に紫苑がやって来た。
「こんばんは」
 天真爛漫な明るさを光流に見せながら紫苑は部屋に入って来た。勿論案内してきたのは浅田だ。
「こんばんは。忙しいのに僕の為に時間を割いて下さってありがとうございます」
 光流の言葉に一瞬驚いたような顔をした紫苑が、口元を緩め微笑む。
「頑張ろうね。僕に出来る事なら何でも協力するよ」
「はい」
 光流は戸惑いながらも頷くしかなかった。
「これは、お夜食だよ。あとで食べてね」
 紫苑は大きなタッパをテーブルの上に二つ置いた。

「紫苑君、そんな事に気を使わないで下さい」
 紫苑と光流の間に浅田が割って入って来る。
「料理は僕の趣味みたいなものだから、浅田さんも気を使わないで下さいよ」
「そうですか、ありがとうございます。紫苑君の料理は美味いから楽しみです。あ! 夜食でしたね……」
 浅田は自分も頂く事を前提として喋ってしまい、肩を竦めた。
「勿論浅田さんの分もありますから、食べて下さいね」
 紫苑の言葉に肩を竦めたままの浅田が口元を緩めるのを、光流は黙って見ていた。


 それから週に3回ほど紫苑は浅田のマンションを訪れていた。紫苑の教え方に光流は何ら文句も無かったが、終わると必ず浅田が紫苑を送って行く事に、違う意味で負担を感じていた。勿論紫苑も仕事をしている身だが、浅田とて忙しいのだ。毎回浅田に無駄な時間を割かせるようで気が重かった。

 一方帰りの車の中で紫苑は、浅田に報告をしていた。
「光流君はとても優秀ですよ。このまま行ったら必ず合格出来ると思います」
「そうですか、紫苑君にそう言って貰えると私も安心です」
 浅田はハンドルを握りながら安堵の息を吐いた。
「その上毎回夜食まで持って来てもらって、何と礼を言っていいやら」
「僕が大学受験の時には、いつも祖母が夜食を作ってくれていました。浅田さんもそうでしょう?」
「ええ、私も母がいつも何かこしらえてくれていました」
「それって何か嬉しいですよね……」
 紫苑が昔を懐かしむように話す。今はいない祖母の愛を思い出すように……。
「光流のために、ありがとうございます……」
「だって浅田さんも光流君の為に色々頑張っているでしょう? 僕はその手伝いをさせてもらっているだけだから」
 
 紫苑が光流の勉強をみたいと言い始めたわけではなかった。勿論何か力になれる事があればとは考えていたが、浅田との生活も落ち着いた今、外から口を出すのも躊躇いがあったのだ。
「紫苑君、週に1度のペースで良いのですが、光流の勉強の進み具合を見てくれませんか? 予備校に行くように言っても行こうとしないのもので……」
 そう浅田から声を掛けられ、頭を下げられた紫苑は喜んでその役を引き受けたのだ。説得が厄介かなと思っていた紫龍も気が抜ける程簡単に許してくれた。
「俺は、紫苑がやりたいと思った事を駄目だとは言わないぞ」と。

 考えてみれば、今まで紫苑の趣味に口を出して来たこともない。家庭菜園も家の事も紫苑の好きにさせてくれている。だが、今回はある程度生活を乱してしまうのだ、それでも紫龍は、断ったら紫苑が後悔するだろうと揶揄する。
「さすが紫龍、僕の事なら何でも判ってくれているね」
 紫苑はそう言って、紫龍の肩に体を預けた。今自分はこんなにも幸せだ。周りの全ての人に感謝し、おこがましいが誰かが幸せになる手伝いをしたいと願う。

 紫龍と暮らす部屋の玄関まで浅田は毎回送り届けてくれる。何度遠慮してもだ。
「貴方にもしもの事があったら大変ですからね」
 おどけたように言う浅田は、玄関のドアを見ながら口角を上げた。
「では、次は?」
「金曜日の夜に伺います」
 浅田は金曜日のスケジュールを頭の中で開いた。きっと紫苑の中にも同じスケジュールが刻まれているのだろう。自分の仕事と社長である紫龍のスケジュール管理まできちんとこなしている紫苑に今更ながら脱帽してしまう。
「では、金曜日宜しくお願いします」
「はい、おやすみなさい。帰り道気を付けて下さいね」
 ドアの前で紫苑に見送られて浅田はエレベーターに向かった。紫苑は浅田がエレベーターに乗り込むまで必ず見守る。くすぐったいような気分で浅田は扉が閉まる瞬間に軽く微笑み帰路につく。

「ただいま」
「お帰り紫苑。ちょうど風呂の湯が溜まった頃だ」
「ありがとう」
 紫苑が光流の所に行くようになってから、紫龍が少し変わった。今まで家の事を何もしなかった紫龍が、風呂の湯を張ってくれるようになった。たったそれだけの事でも紫苑の負担は減るし、その気持ちが嬉しかった。
「一緒に入ろう」
 紫龍の言葉に、笑顔で応える紫苑だが、紫龍の手伝ってくれる魂胆がこの辺にある事は不問にすることにしていた。


「ただいま」
 浅田が玄関を開けると、部屋には美味そうな匂いが漂っていた。今夜は鍋焼きうどんらしい。
「美味そうですね」
「土鍋まで持って来てくれました」
 一人用の小さな土鍋が二つコンロにかかっていた。紫苑が来るようになってから、浅田と光流の生活もまた変わり出した。光流は学校から帰ると夕方軽めの食事を一人で済ます。紫苑が来るのはだいたい八時頃。そして勉強も終わり頃に浅田が帰宅して、紫苑を送って行く。その間に紫苑が用意してくれた浅田には遅めの夕食、光流には早めの夜食を頂く。光流は食事が終わると少し休憩をしてから風呂に入り、十二時を示す頃にまた机に向かい、二時間程復習をしてからベッドに入る日々だった。規則正しい生活と、紫苑の心づくしの食事のおかげで、光流も勉強にも集中する事が出来き、前から良かった成績も更に上昇して来ていた。健康状態も頗る良かった。

「次は、金曜日にみえるそうです」
 浅田が鍋焼きにたっぷり入った野菜を美味そうに食べながら、次に紫苑が訪れる日を教えてくれた。
「金曜日……」
「はい、私は社長のお供で名古屋に出張ですので、その日は紫苑さんに泊まってもらう事にしてあります」
 浅田のスケジュールをしっかりと把握した紫苑の行動に光流は内心舌を巻いていた。今までだってそうだった。送りは別として浅田の負担にならないような訪問なのだ。

 今回の家庭教師を引き受ける際に、紫苑が出した条件は紫龍との関係を光流に教えないという事だった。年頃の光流に余計な不快感と、刺激を与えたくないという理由からだ。それには浅田も紫龍も頷くしかなかった。だから光流は紫苑が浅田のスケジュールを把握している事にずっと疑問を持ったままだった。

「どうしました?」
「いえ……紫苑さんはどうしてこんなに良くしてくれるのかな? と思って」
「そういう性分なのでしょう」
 浅田は、紫苑の生い立ちや境遇を話すつもりは、今の所なかった。実際紫苑ほどに家庭教師にうってつけの人材はいないと思っている。かなり負担を掛けているのは判っているが、それでも浅田は紫苑だけが頼りだった。光流にはどうしても一発で難関の大学に受かってほしかった。そうでなければ光流はきっと大学進学を諦め働くと言い出すだろうと思っていたからだ。あと三か月……ここからが正念場なのだ。
 光流が無事合格した暁には、三日間の休みを与える事が、紫龍からの条件だった。紫龍は紫苑を連れて温泉旅行に行きたいと言い出す始末だ。浅田は紫苑への礼も兼ねてその旅行の手配を買って出ていた。勿論経費も全て浅田持ちだ。だが紫苑はそんなものでは追いつかない程の事をしてくれている。

「ご馳走様でした」
 光流が手を合わせ感謝の言葉を口にする。この子も良い育て方をされてきたのだと分かり浅田も口元を緩めながら、手を合わせた。


 そして金曜日の朝、浅田は土曜日の夕方に戻ると行って出て行った。光流も学校に行く準備を整え、浅田よりも少し遅れてマンションを出た。基本浅田は、帰宅は遅いが泊まりで出張など今まで無かった。今夜帰宅しないのだと思うと、一抹の寂しさを覚えながら光流は学校に向かった。

 そしてその夜、紫苑は予定よりも早くマンションのチャイムを鳴らした。手には沢山の食材の入った袋を下げている。
「今夜はお泊りですから、お夜食はここで作りましょうね」
「そ、そんなに材料を?」
「はい。期待していて下さいね」
 どうしてこの人はいつも笑顔なのだろうかと光流は思っていた。何の悩みも問題も抱えていないだろう紫苑が材料をテーブルの上に出すのを手伝いもしないで、ただ眺めていた。
「あの、家庭教師の謝礼はどうしたらいいのでしょうか?」
 光流の問いかけに紫苑はとても驚いた顔で振り返った。
「そんなの要りませんよ」
「でも……」
「光流君が無事大学に入学して、卒業して社会人になったら、一度食事ご馳走して下さい」
「そんな先の話を……」
「先の約束が出来る事はとても幸せな事だと思いませんか?」
 紫苑が光流の顔を覗き込むように尋ねて来た。光流は紫苑の言葉に眩暈がしそうだった。何という考え方……こんな考え方を光流はした事が無かった。浅田が惹かれるのも無理はない……。
「そうですね。4年と少し待っていて下さいますか?」
「喜んで」
 本当に紫苑は楽しそうに笑った。光流もつい釣られて笑顔を浮かべてしまう。
「さあ、勉強始めましょうか?」

 帰る時間を気にしなくていい紫苑はいつもよりも長く勉強を見てくれた後に、夜食だと言って日本蕎麦を茹でている。聞くと自分で打った蕎麦だと言う。
「紫苑さんの一日って三十時間くらいあるんじゃないですか?」
「ふふ、そうだね。あれば嬉しいな。やりたい事はたくさんあるからね」
 この人には負の感情が無いのではないかと思う。光流は出来たての蕎麦をすすりながら、そんな事を考えていた。
「美味しいです」
「そう、良かった」
「あの……紫苑さん、恋人いないのですか?」
 いたら自分の為にこんなに時間を割いてもらって本当に申し訳ないと思った。
「う……ん、好きな人はいるよ」
 少しだけ歯切れの悪くなった紫苑に、これ以上聞いてはならないと光流は何となく気づいてしまった。
「この天ぷら美味しいです」
 そう言って自ら振った話を光流は逸らした。



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嬉しくて、書きました。なるべく間を開けないように頑張ります。

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