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それでも愛してる 2 [天使が啼いた夜 番外編]

日曜日の午前中、光流は緊張した面持ちで迎えを待っていた。
浅田の小父の指示に従って、手荷物以外の必要な物は昨日教えてもらった住所に発送を済ませてあった。あとは直ぐ使う物を旅行鞄2つに分けて準備もした。

指示通り大きな荷物は全て処分してある。もう光流がここを出れば部屋には何も残らない。部屋の掃除も昨日綺麗に済ませた。光流一人では何も出来なかったかもしれないが、浅田の奥さんが来て手伝ってくれたのだ。何から何まで世話になってしまい光流は、感謝しても感謝しきれない程の恩を感じていた。
「貴方が亡くなったご両親に恥じない立派な大人になる事が、恩返しなのだから気にしなくてもいいのよ」と奥さんに言われ、その言葉に素直に従った。

「遠い所に手伝いに来て下さってありがとうございます」
光流は心からそう思って深く頭を下げた。
「何か困った事があって、うちの息子に言えない事があればいつでも私に言ってきなさいね」と、これもまた浅田の小父と同じように頭を優しく撫でてくれる。
小学校の校長をしている浅田と以前教師をしていたその妻は、光流に対しても自分の教え子のように優しく接してくれる。


―――バタン
アパートの外で車のドアが締まる音がした。
続けて三回その音が響き、光流は自分の待つ人では無いと思い上げかかった腰をまた下ろした。
―――コンコン
だが予想を裏切って、ドアが静かにノックされ光流は慌てて立ち上った。

「はい」光流はドアを開け、目の前に立つ男をじっと見詰めた。
(やはりこの人だった……)
光流は、葬式の日にこの男を見た。参列者の少ない地味な葬式に、黒塗りの……それも運転手付のベンツで来た男だ。フレームレスの眼鏡に黒いスーツ姿で、きりっとした姿は仕事が出来る男だと知らしめる。そして多くの人の視線を集めていた。

「えっと?浅田総一郎の息子だけど……」
あの時の印象と違い、何だか自信なさそうな発言に光流は何も言えずに瞬きをした。
お互いに、玄関の薄い扉一枚に半身を隠しながら、どちらからともなく次の言葉を待った。

その時浅田の背中を押すように、脇から若い男が顔を覗かせた。
「ねえ浅田さん、赤ちゃんどこ?」
「え……っ赤ちゃん?」若い男の言葉に、光流は大きく瞬きをしてその動きを止めた。

「僕、櫻井紫苑です。こんにちは、今日は赤ちゃんのお世話に来ました」
普段の表情を知らない光流ですら、この青年の顔がわくわくと期待に満ちているのが分かった。
「赤ちゃん……?」光流は知らず知らずに同じ言葉を繰り返す。

「おい、浅田いつまで入口で固まっているんだ?紫苑が楽しみにしているんだから、早くしろよ」と半分しか開いていない扉を、大柄な男が思いっきり全開した。
光流は目の前にいる自分よりも年上の男三人に一斉に視線を浴びせられ、頭が真っ白になってしまった。

「おい浅田、赤ん坊は何処にいる?」
大柄な男が、浅田の息子に不機嫌そうな声で聞いているのを光流はぼんやり眺めていた。
「俺は赤ん坊だとは言っていない、子供だと言ったんだ。勝手に勘違いして俺に当たるな」
浅田は紫龍の不機嫌さを、きっと夕べ紫苑に拒否されたせいだと読んでいた。

「あの……最初から赤ちゃんなんてここにはいません……」
やっと光流が口を利けた。
がっくりと若い男が肩を落とすのを、申し訳ない気持ちで光流は見た。
「いつまで玄関先にいるつもりだ?中に入るぞ」
若い男の肩を抱くように、大柄な男が部屋の中に押し入った。

「あれ?何も無いね?もしかして今日引っ越しして来たとか?」
若い男に聞かれ光流は首を振った。
「あの……浅田の小父さんには何も聞いていらっしゃらないのですか?」
「おい、浅田どういう事だ?」浅田の代わりに大柄な男が返事をした。

二人の男と光流を部屋に残し、浅田は外に出て父親に電話を掛けた。その間何も無い部屋の中、三人は気不味い雰囲気で浅田の帰りを待った。

暫くして浅田が戻って来たと思ったら、光流を正面から見て小さな吐息を漏らした。
「取りあえず行こう、荷物はそれだけ?」
「あ、はい……」
一体どういう事になっているのか光流は不安な面持ちで答え、鞄を手にした。
「いつまでも路上駐車って訳にはいかない、とりあえず俺の部屋に行こう」
それだけ言って浅田は、外に出た。その後ろを慌てて三人が追う。

アパートの外に出ると、二台の車が停まっていた。高級そうな外車に大柄な男と、若い男が乗り込み、その前に停めてある国産だがこれも一目で高級とわかる車に浅田が乗り込んだ。

「おい、こっちに乗って」
どうしていいか戸惑っている光流に、浅田が運転席から声を掛けた。ほっと安堵の顔をした光流が助手席に乗り込むと、二台の車はゆっくりと発進し浅田の住むマンションに向かって走り出した。



多分この部屋の持ち主は浅田の息子のはずだが、嫌な顔もせずに香り高い珈琲を淹れているのは『櫻井紫苑』と名乗った青年だ。光流は勧められたソファに腰を下ろして落ち着かないでいた。

「さあ珈琲どうぞ」どちらが客か分からないけど、その優しい雰囲気に光流は小さな溜め息を零した。
そんな光流をちらっと見て、浅田も紫龍も大きな溜め息を吐く。まだ会話らしい会話は交わしていなかった。
光流は内心、ここに居てはいけないような気がして、持って来た鞄に手を掛けようとした。だがその時紫苑が口を開いた。
「二人ともそんな怖い顔をしていたら彼が戸惑うでしょう?」優しい口調だったが、大人の二人を咎めるようにも聞こえ光流は紫苑の顔をやっと正面から見た。
少し癖のある髪が温かさを光流に伝えてくれる。

「あの……何かの行き違いがあったみたいですので……俺は帰ります」
「行く所は無いのだろう?」相変わらず横柄な口の聞き方をする紫龍に向かって光流は緩く口角を上げた。
「何とかなります……」
「高校生か?」
「はい……二年です」
何だか尋問のような問い掛けに、それでも光流は正直に答えていた。肝心の浅田は何を考えているのか分からない、相変わらず難しそうな顔をしてソファに深く腰掛けていた。

「浅田さん!」少し強い口調で呼ばれて浅田は、声の主の紫苑に顔を向けた。
「浅田さんが都合悪いのなら、僕が面倒みます」そうきっぱりと紫苑は言い放つ。
「し……紫苑」慌てたのは紫龍の方だ。
「彼……光流君って言ったよね?身よりが無いのでしょう?行く所が無いのなら……僕が……」光流は自分よりも辛そうな顔をしている紫苑に驚いた。

若くして肉親を亡くす辛さや淋しさなら、紫苑はイヤと言うほど知っている。両親を亡くし祖母も亡くした。もう社会人となった今の自分なら高校生の一人くらいは面倒見られると思った。

紫苑と光流が思いつめた顔をし、紫龍は困った顔をしている。紫龍は紫苑の気持ちが痛い程分かり、何も言えなかったのだ。
「ああ……そう言えば親父は高校生って言っていたな……」
「今頃思い出すかよ……」浅田の言葉を聞いて紫龍が溜め息を吐く。

「もういいんです。有り難うございました」光流は今度こそ鞄を手にして立ち上った。
「高校は何処?」立ち上った光流に浅田が問い掛けた。
「都立早川高校です……」
「え……僕の後輩?」高校の名前を聞いて辛そうな顔をしていた紫苑に笑顔が戻った。
「せ、先輩ですか……」見た目の印象で光流は紫苑を幼稚舎からあるような私立だと思い込んでいた。だが先輩と聞き何だか嬉しく思った。数時間の縁でも、同窓だと思うと少しだけ身近に思えたのだ。

「ここからだと三十分くらいだな。空いている部屋は今物置みたいになっているから、片付くまでリビングでいいか?」
ここに住む事を前提とした問い掛けに光流は驚いて固まってしまった。
「浅田さん、いいの?」光流よりも嬉しそうな顔をして紫苑が尋ねる。
「別に私はいやだとは言っていませんよ、ちょっと驚いただけです」
「良かったね、光流君」紫苑が光流の手をとり、自分の事のように喜んでくれた。
「本当にいいんですか?ご迷惑ではないですか?」

年齢的に結婚するには適齢期である浅田なのだ、光流が同居する事で恋人との間に不都合が出来てしまうのではないだろうか?などといらぬ心配もしてしまうが、それを口に出す程まだ親しくなれていない。
逆に浅田の言葉に光流の方が困ってしまった。

「浅田良かったな、これで淋しい部屋に戻る事が無くなったな」慰めるような揶揄するような紫龍の言葉に浅田が片眉を上げた。
「余計なお世話だ」

「そういえば……浅田さんって恋人はいないのですか?」光流も気になっていた事を紫苑が躊躇いも無く聞いた。
「私は仕事が恋人です」そうきっぱりと浅田は答えた。

光流は、この三人の会話を聞いていて少し首を傾げる。若い紫苑に対しては丁寧な言葉を使い、偉そうな紫龍には横柄な口を利く。

「改めて紹介しよう。この態度の悪い奴が俺の雇い主で同級生でもある堂本紫龍だ。そして彼が櫻井紫苑君。この春からDOMOTOに勤務している」
「はい……僕は杉山光流です」
「ふふ……良かったね光流君。仲良くしようね」
光流は紫苑の差し出した白魚のような手を、おずおずと握り返した。

「さあ、俺達は帰ろうか?」
「えっ、もう?物置になっている部屋を片付けて光流君が住みやすいようにしないと……」
「いえ、そういう事は僕がやりますから」世話になる身なのだから、そのくらい自分でしないと罰が当たってしまう。

「あなた方はとっとと帰って下さい」
だが浅田はそう言って、自分の上司である紫龍と可愛い部下の紫苑を部屋から追い出した。
「さて……」
今度は光流に向き直り、初めて正面から光流を見据えた。


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